今回は、寛永通宝の中から大阪難波銭の価値と見分けについてご紹介を致します。
江戸時代、大阪には高津、難波、加島の3ヶ所に銭座があり寛永通宝が鋳造されました。
この寛永通宝は、享保13年(1728年)に、その大阪難波で鋳造されため大阪難波銭と呼ばれています。
ちなみに、銭座とは江戸時代に寛永通寳や天保通宝などを始めとする銭貨を鋳造した組織のことを言います。
通常、この銭座は、幕府が応募し許可が与えられた請負の商人たちで、寛永通宝などを鋳造し鋳銭高が目標に達すると銭座は解散しました。
そんな大阪難波銭は、希少価値が高いものとなると、なんと!5万円にもなることがありますので最後までお読み下さいね(^^♪
元禄から宝永にかけての改鋳で金の品位が上がり、貨幣量が減ったことで需要が増えため、銭貨の需要が増えました。そこで、幕府は全国60ヶ所以上にものぼる銭座での寛永通宝の鋳造を許可しました。
※元禄小判金の金含有量は56%、宝永小判金の含有量は83%へ上がっています。
その中の一つが大阪難波銭で、享保13年(1728年)から享保15年(1730年)までの3年間、大阪難波の銭座で鋳造されました。
ただ、どこの銭座で発行された寛永通宝かを区別するために、銭座ごとに特徴を持たせています。
この大阪難波銭の最大の特徴は、「永」の字の3画目の「フ」の払いが上に跳ね上がっていることです。
また、今回ご紹介している寛永通宝 大阪難波銭は、「額輪(がくりん)」といって、「寛永通宝」と鋳造された文字の高さが、寛永通宝の縁(輪と呼びます)の高さより低いことを言い、希少価値が高くなります。
そのほか、寛永通宝 大阪難波銭には、「濶縁(かつえん)」と言って、輪の幅が広くなっている種類もあります。
寛永通宝 大阪難波銭の気になる価値ですが、希少価値が高い母銭ともなると、5万円もの値が付くこともあります。通用銭でも状態が良ければ6千円もの値が付くこともあるんですよ。
ちなみに、この母銭とは、通用銭を鋳造する時の母型(ぼけい)で、材質や寸法に違いがあります。通常銭よりほんのわずかだけ大きく、文字なども鮮明という特徴があります。
素材 | 年代 | 母銭 | 通用銭 | |
大阪難波銭 「濶縁」 | 銅 | 享保13年(1728年) | 4.5万円~2.5万円 | 500円~200円 |
大阪難波銭 「額輪」 | 銅 | 享保13年(1728年) | 5万円~3万円 | 6千円~2千円 |
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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