今回は、古寛永の中から寛永16年(1639年)に鋳造された岡山銭の価値と見分け方についてご紹介を致します。
寛永通宝は大きく古寛永と新寛永に分けられます。
古寛永は、寛永3年(1626年)より寛文8年(1668年)以前に作られた寛永通宝で芝・浅草・坂本・水戸・仙台・吉田・松本・高田・岡山・萩・竹田・建仁寺・沓谷・鳥越など全国各地で鋳造されていまいた。
一方の新寛永は、寛文8年(1668年) 江戸亀戸村で、幕府の直轄として鋳造されはじめました。
そんな寛永通宝は、明治2年(1869年)まで長期に渡り鋳造されたため、その種類は何百種類以上にもおよび見分けるのも大変難しくなります。
ここでは、岡山銭について詳しく解説しておりますので最後までお読み下さいね(^^♪
寛永通宝には、大きく古寛永と新寛永があります。
古寛永と新寛永との見分け方は、下の写真のように『寶』の字の『貝』の下の部分が「ス」になっていれば古寛永、「ハ」になっていれば新寛永になります。
岡山銭は、外様大名であった岡山藩が寛永16年(1639年)に鋳造しました。
素材は銅で、大量に鋳造され書体には微細な変化が多く、そのため、見分けるのが困難な寛永通宝と言われています。
そんな岡山銭の基本的な特徴は、俯永(えいふ)と言って「永」の字が左側に傾いており、「永」の字の「フ」の部分が左下がりになっているという特徴があります。
少し分かりずらいかも知れませんが「永」の「頭部」(1画、および2画目の横線)が左に傾いているのがお分かりになりますでしょうか。「フ」の部分も少し左に傾いていますね。
今回、ご紹介をしている岡山銭は、「進寛(しんかん)」と「陰画(いんかく)」という特徴もあります。
この「進寛(しんかん)とは、通常より「寛」の字が向かって左側に偏って配置されていることを言います。
また、陰画(いんかく)とは、文字の部分が鋳不足などによって、文字がハッキリしないことを意味しています。
ご覧のとおり、「寛」「通」「寶」の字が少し、にじんでおり、ハッキリした文字ではありませんよね(^^♪
なんか専門用語ばっかりで並んで難しいですね(^^;
気になる価値ですが、古寛永は新寛永に比べると全体的にそれほど価値は高くありません。
この岡山銭も500円から150円ほどで売買されています。
年代 | 素材 | 価格 | |
岡山銭 | 寛永16年(1639年) | 銅 | 500円~150円 |
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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