今回は、寛永通宝の中から裏面に「元」の文字が刻まれた寛永通宝の価値と見分け方についてご紹介を致します。
実は、寛永通宝と一言で言ってもその種類は、なんと!数百種類にもおよぶんですよ(^^♪
なぜそんなに種類が多いかというと、寛永3年(1626年)から約260年の長期に渡り鋳造された為なんです。
1668年以降は、亀戸村(かめいど)で幕府直轄として鋳造されましたが、1668年までは浅草・水戸・仙台・松本・岡山・萩など日本各地で鋳造されていました。その為、それぞれに書体や大きさが違ってしまったんですね。
また、元禄から宝永にかけての改鋳で金の品位が上がり、小判金の貨幣量が減ったことで寛永通宝や天保通宝の銭貨の需要が増えました。
そこで、幕府は全国60ヶ所以上にものぼる銭座(ぜにざ)での寛永通宝の鋳造を許可しました。
どこの銭座で発行された寛永通宝かを区別するために、銭座ごとに特徴を持たせています。その為、寛永通宝には書体や大きさ、材質が違う数百にもおよび種類があるという訳なんですね。
この銭座は、幕府が応募し許可が与えられた請負の商人たちで、寛永通宝などを鋳造し鋳銭高が目標に達すると銭座は解散しました。
そんな寛永通宝の中から今回は、裏面に「元」の文字が刻まれた寛永通宝の価値と見分け方についてご紹介を致しますので最後までご覧下さい。
寛永通宝は、全国各地で鋳造され、どこで鋳造されたか区別するために大きさや書体などに少しずつ特徴があります。
この背面に「元」の字が刻まれた寛永通宝も例外ではなく、大阪の高津で作られたことが分かります。その為、この寛永通宝は高津銭とも呼ばれたりします。
江戸時代の大阪には、高津、難波、加島の3ヶ所に銭座(ぜにざ)があり寛永通宝や天保通宝が鋳造されていました。
寛永通宝の背面に刻まれた字の多くは、鋳造地を意味しているのですが、この「元」の字は、鋳造地を表すのではなく、鋳造が許可された年代である「元文」が示されています。
ただ、実際に鋳造され始めたのが寛保元年(1741年)です。高津銭は発行枚数が多く種類も20種類ほどに分類されています。
高津銭の気になる価値ですが、通用銭で300円から100円で取引されています。
ただ、母銭ともなると、その数十倍から数百倍もの価値になります。
この母銭とは、通用銭を鋳造する時の母型(ぼけい)で、材質や寸法に違いがあります。通常銭よりほんのわずかだけ大きく、文字なども鮮明という特徴があります。
名称 | 素材 | 年代 | 母銭 | 通用銭 |
寛永通宝 高津銭 | 銅 | 寛保元年(1741年) | 2万円~1.2万円 | 300円~100円 |
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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