今回は、江戸時代に鋳造された天保五両判金の重さと価値についてご紹介を致します。
天保五両判金は、天保8年(1837年)から天保14年(1843年)にかけて発行された手作りの判金です。天保大判金とは違いますのでご注意下さいね(^^;
ちなみに、この天保五両判金は、江戸幕府240年の歴史でなかで唯一、五両判金が作られたのがこの天保五両判金だけなんですよ。そのため希少価値が高く450万円もの価値になることがあります。
大判の量目(重さ)は、10両(44匁=165グラム)に対して、この判金は半分の五両となります。
ただし、実際のところは、量目が33.75gしかなかなく、小判金5枚を合わせた金量よりも少なかった為当時は嫌われていたようです。
ちなみに、大判は実際のところ10両で取引されたのではなく、慶長時代には7両、幕末には20両以上にもなったと言われています。
なぜ、これほどまでに天保五両判金の量目が少ないかというと、ちょうどこの時期に、天保の改鋳があったためです。
改鋳とは、金の量目の多い判金を回収し、金の量目を減らして判金を発行することです。 そのためこの天保五両判金は品質を著しくおとしました。
ただし、天保五両判金は量目は少ないですが、品位が金842/銀158で、慶長小判金、正徳小判金、享保小判金を除いては類をみないほどの高品位です。
品位とは、金属の含有用の割合で、量目は重さを意味しています。
こちらが天保五両判金の表面です。
天保五両判金の裏面です。年代印である「保」と、左下には、金座人印と吹屋棟梁印が刻印されています。
製法は天保小判と同様に手打ちではなく、ローラーで平らにしている為、判肌は綺麗です。しかし、大きさに多少、大小があります。
鋳造期間は、天保8年から天保14年(1837年~1843年)です。
気になる価値ですが、天保五両判金は、状態が良ければ300万円、また献上大吉ともなればなんと!450万円もの価値になります。
この献上大吉とは、意図的に「大吉」の極印が押された判金で、「大」と「吉」からなるため当時は大変縁起が良いとされていました。そのほか、偶然大吉と言って、金座人印と吹屋棟梁印が「大」と「吉」からなる判金も希少価値が高く高値で取引がされています。
ちなみに、金座人印とは、地金の製造を担当した偉い方の印で、吹屋棟梁印とは貨幣の成形を担当した偉い方の印を言います。小判の裏面左下に押される2つの印のことを言います。
献上判と偶然判の違いは、献上判には「大名の収蔵印がある」「両替商の刻印がない」という点があります。また献上判は市場に流通しない小判であるため、状態良いというのも特徴です。
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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