今回は、桃山時代から江戸時代に鋳造された大判金の種類と価格についてご紹介を致します。
時代劇で、悪徳商人「越後屋」がお代官様へ賄賂として風呂敷に包まれたお金を渡しているシーンを見たことはありますか?
そのシーンで渡しているお金が小判金で、大きさは、縦が3.5センチ前後から8センチ程度、横幅が大きいもので4センチ程度です。
一方、大判金の大きさは、縦が14センチ前後から17センチ、横幅が8センチから9センチ前後と小判金の倍の大きさがあります。
そんな大判金は希少価値が高く、高価なものでは、なんと!1億円以上にもなります。
そんな大判金の種類と価格について詳しくご説明をしておりますので最後までお読み下さいね(^^♪
桃山時代から江戸時代に鋳造された大判金は、全部で11種類あり高いものでは1億円以上もします。
・天正菱大判金
・天正長大判金
・天正大判金
・慶長笹書大判金
・慶長大判金
・慶長大判金(明暦判)
・元禄大判金
・享保大判金
・天保大判金
・万延大判金(たがね打)
・万延大判金(のし目打)
こちらが天正菱大判金でその存在が確認できているのは、世界でたった6枚だけです。この天正菱大判金は、豊臣秀吉が贈答儀礼用として作らせたのが始まりといわれており、現在では美術品としての価値も非常に高い大判金です。
その6枚のうち4枚は東京国立博物館、日本銀行紙幣博物館、造幣博物館(大阪)、韓国サムスンのプライベート美術館にあります。また、1枚は2015年5月スイスのオークションにかけられ1億4300万円で落札されています。
天正菱大判金は、足利幕府の抱え工で刀装具彫物の名門、京都・後藤家の直系、祐徳により作成されました。
祐徳は、天正菱大判金の表面の上下の五三桐門の極印(きわめいん)を菱形の枠で囲みました。また、後藤家の直系、徳乗は天正長大判金の表面の上下にある五三桐門の極印を丸形の枠で囲んでいます。
さきほど、上の写真でご覧いただいた天正菱大判金は、上下の五三桐門の極印が菱形の枠で囲まれているので祐徳の制作によるものと分かります。
↓こちらが後藤家の直系、徳乗によって作成された天正長大判金です。
↓こちらが天正大判金で、天正元年(1573年)から慶長14年(1609年)にかけて鋳造されました。第5代 後藤徳乗により墨書されています。
↓こちらの慶長笹書大判金は、後藤長乗によって製作され、長乗によって書かれた墨書が笹の葉の流れを思わせるところから慶長笹書大判金と呼ばれています。
↓こちらが慶長大判金で、慶長6年(1601年) 後藤顕乗によって墨書きがされています。
↓こちらが享保大判金です。第12代 後藤寿乗により墨書がされています。そのほか、第13代 後藤延乗、第14代 後藤桂乗、第15代 後藤真乗、第16代 後藤方乗により墨書がされている享保大判金もあります。
↓こちらが天保大判金です。第16代 後藤方乗によって墨書きがされています。
↓こちらが万延大判金(たがね打)です。第17代 後藤典乗により墨書されています。
↓こちらが万延大判金(のし目打)です。第17代 後藤典乗により墨書されています。
大判金と呼ばれるものは、万延大判金をのぞき常に10両(44匁、165g)に定められていました。が、慶長時代は7両程、幕末には20両以上の小判と取引がされていました。
大判金の特徴はなんといっても表面に書かれている「墨書き(すみがき)」です。
もちろんその大きさも目を引くのですが、この墨書きの状態によってもその価値が変わってきます。
鋳造当時の墨書がそのまま残っているものは「元書(もとがき)」と呼ばれ、もっとも珍重されます。
元書の傷や取れ具合でも価値は変わってきます。その次は、大判座で書き改められた「直し書」です。
第3者によりなぞり書きされた「加筆」や「後書」はその評価を下げます。
下記が大判金の価格です。
さらに享保大判金には5つの墨書と座人印があり希少価値が高いものでは900万円にもなります。
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