大泉五十(たいせんごじゅう)
大泉五十は、中国「新」の時代に造られた貨幣で、渡来人とともに日本(当時は弥生時代)に入って来たと言われています。
大泉五十の表面には、上に「大」、下に「泉」、右に「五」、左に「十」の文字が刻まれています。 それで、大泉五十(だいせんごじゅう)と言うんです。
この大泉五十という刻印には意味があって、「この大きな銭1枚は貨泉50枚と同等」という意味があります。
寛永通宝や天保通宝など日本の多くの古銭は、その鋳造された年代を表していますが、中国の古銭にはその価値を表しているものがあって珍しい気もします(^^♪
ちなみに貨泉とはこの写真の古銭です。
この貨泉50枚が大泉五十1枚という換算だったようです。
大泉五十の「泉」は、「銭」を意味していて、音読みではどちらも「セン」ですね。
さきほど大泉五十は、中国「新」の時代に造られた貨幣とご紹介致しましたが、西暦8年~23年に王 莽(おう もう)が前漢最後の皇太子の孺子嬰(じゅし えい)より国を引き継ぎ「新」の国を建てました。
そのときに鋳造された貨幣がこの大泉五十です。貨泉も同じく王 莽によって作られた貨幣で径が1寸 (3.3cm) 、重さが5銖 (約 8g) です。
今から2000年前の中国ではもう既に貨幣が作れていたんです。日本では大陸から農耕が伝わったころですからどれだけ中国が進んでいたのかが良く分かります。
ちなみに、側には文字は刻まれていません。
銭の中央には、穴銭の特徴でもある穴があり、その穴には縁がある内郭となっているのも特徴です。
古い割には、相場的には2,000円から700円で取引されています。素材は、銅で私の所持している大泉五十も写真のとおり青錆びが出ています。
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