今回は、古銭の中から渡来銭の開元通宝の価値と見分け方を解説致します。
ちなみに、渡来銭とは、平安末期より鎌倉、室町時代にかけて、幕府または民間貿易によって輸入された貨幣で、遣唐使、遣隋使などが、中国より持ち帰ったのが始まりと言われています。
寛文10年(1670年)の渡来銭使用禁止令までの長い間、通過として広く使用されていました。
そんな開元通宝の価値と見分け方を解説致します。
開元通宝(かいげんつうほう)は、唐の時代 武徳4年(621年)に唐の初代皇帝 李淵(りえん)が初めて鋳造し、北宋が完全に中国を統一した979年までの約350年にわたって流通した貨幣です。
日本では、寛文10年(1670年)の渡来銭使用禁止令までの1000年という長期間にわたり使用されていました。
銭貨の表面には、鋳造された時期である「元号」がよく鋳印されますが、この「開元」は元号ではなく、「開国建元」の意味で、唐の建国を記念したものと言われています。
というのも先ほどご説明をしたり、開通元宝が初めて鋳造されたのが武徳4年(621年)だからです。
銭貨の読み方には2つの説があります。
一つは、寛永通宝と同じ「上・下・右・左」の順という説と、「上・右・下・左」である「開通元宝」(かいつうげんぽう)の説です。
武徳4年(621年)に鋳造された時は、「開通元宝」と呼んでいたと言われており、713年に元号が「開元」となった頃から「開元通宝」と読まれるようになったとも言われています。
どちらの読み方が正解というのは無く、とちらでも意味は通じますので、読みやすい方でかまいません。
こちらが開元通宝の表面です。
こちらが開元通宝の裏面です。
円形をし、中央の四角の穴は秦の始皇帝が鋳造した半両銭、漢の五銖銭を継承しており、1枚を「一銭」と数え、10銭で1両としたことから、質量の単位である「銭」が生まれました。
この円形で中央に「孔」と呼ばれる四角い穴が開いている形は、日本で鋳造された「和同開珎」にも影響を与えたと言われています。
「和同開珎」も「上・右・下・左」の順番で読みますが、それは、武徳4年(621年)に鋳造された時に呼ばれていた順番での「開通元宝」を手本にしたかたと言われています。
開通元宝の気になる価値ですが、古いわりにそれほど希少価値が高くなく、300円から100円で取引がされています。
名称 | 素材 | 年代 | 価格 |
開元通宝 | 銅 | 武徳4年(621年) | 300円~100円 |
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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