今回は、寛永通宝の中から元文期(1736年から1741年)につくられた 十万坪 背十 をご紹介致します。
「十万坪」とか「背十」とかあまり聞きなれない言葉が続きますがひとつひとつ説明していきますね。
まず、元文期とは、日本の元号のひとつで、西暦1736年から1741年です。この時代の天皇は桜町天皇、将軍は第8代将軍 徳川吉宗です。
桜町天皇(さくらまち)はあまり聞いたことが無い方が大半だと思いますが、徳川吉宗は多くの方が知っていると思います。
十万坪とは、鋳造された場所である江戸深川十万坪村を意味しています。
背十とは、背面に『十』と言う字があることから背十と呼ばれています。
寛永通宝 背十の見分け方は、下の写真のように背面の上に『十』という字があれば『背十』です。
さきほどもご紹介したとおり、この寛永通宝 背十 は元文期(1736年から1741年) 江戸深川十万坪村で鋳造されていました。
この元文期に鋳造された寛永通宝の特徴は、『寛』の13画目がまるで虎の尾っぽのように長くなっています。
下の写真は、寛永通宝 背十 の表面ですが、赤丸で囲まれたように、まるで虎の尾っぽのように尾が長くなっていますね。このことから「虎の尾」って呼ばれているんです。
また背十銭は見本銭的なものであり通用銭はありません。
寛永通宝 背十 表面↓
寛永通宝 背十 背面↓
ちなみにこちらも元文期に鋳造をされていた寛永通宝 虎ノ尾寛(和歌山)です。
やはり、背十と同じ『寛』の字が虎の尾っぽのような書体をしているのが分かるかと思います。
ヤフオクでは、この新寛永通宝 母銭 元文期 十万坪 背十 は、¥15,000円から¥21,000円で取引されています。
下記は日本貨幣商協同組合「日本貨幣カタログ」の新寛永通宝 母銭 元文期 十万坪 背十の取引価格です。
銅から鋳造されており通用銭はありません。すべてが母銭で取引価格は60,000円から30,000円と高い価格が付く寛永通宝です。
ちなみに、母銭とは、通常の寛永銭を鋳造する時の母型(ぼけい)で、材質や寸法に違いがあります。通常銭よりほんのわずかだけ大きく、文字なども鮮明という特徴があります。
お取引の際のご参考にして下さい。
※日本貨幣商協同組合発行「日本貨幣カタログ」より価格を掲載しております。
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