天保小判金(保字小判)
私が所持しているお気に入りの一枚でもあります 天保小判金(保字小判) をご紹介致します。
補足ですが、江戸時代に作られた小判は、全部で11種類。
慶長・元禄・宝永・正徳・享保・佐渡・元文・文政・天保・安政・万延があります。
この天保小判は、1837年(天保8年)から1858年(安政5年)にかけて8,129,450両も鋳造されました。
天保8年は、第12代 徳川家慶(とくがわ いえよし)が将軍に就任した年で、天保の大飢饉が起こった年でもあります。
また、江戸時代の三大改革の一つに数えられる天保の改革(てんぽうのかいかく)が行われた時代でもあります。
表面には、五三の桐と後藤光次(みつつぐ)と花押が刻まれています。
裏には「保」の刻印が打たれています。「保」は、その小判が鋳造された時代を示しており、「天保」を表しています。
鋳造期間は、天保8年(1837年)から21年(1858年)です。
また、金座人印が「坂」、吹屋棟梁印が「東」です。
もちろん、本物です♪ どっしりとした重みがたまりません。
ちなみに、この金座とは、金貨の鋳造を幕府から独占的に請け負った貨幣鋳造組織で、金座の役所であった後藤役所、地金の製造を担当した金座人役所、貨幣の成形を担当した吹所(ふきしょ)の3つの組織からなっていました。
小判の金座は、1601年(慶長6年)、江戸・京都・佐渡・駿河にありましたが、1695年(元禄8年)に京都と佐渡が廃止され、江戸金座の出張所としての位置付けで、京都金座、佐渡金座となりました。
今は金座という地名は残っていませんが、銀座は皆さんもよくご存知の高級店が立ち並んでいる今ではブランド化した地名ですよね。
この銀座は、江戸時代に銀貨の鋳造が行われ、銀座以外での貨幣鋳造が厳しく取り締まられたことから名付けられ今もそれが地名になっているんです。
この「金座人印」とは、金座の事務官および技官のとてもお偉い方々の印で、吹屋棟梁印とは、吹所(鋳造所)のお偉い方の印を示しています。
天保小判金(保字小判)表面↓
天保小判金(保字小判)裏面↓
鋳造量 | 上 | 中 | 下 |
8,120,450両 | 270,000円 | 240,000円 | 200,000円 |
偶然大吉 | 800,000円 | 600,000円 | 400,000円 |
献上判 | 1,500,000円 | 1,000,000円 | 800,000円 |
品位 | 金568/銀432 量目 11.20g |
※たがね打ちを献上判と呼んでいます。たがねとは、金属や岩石を加工するための工具の一種で、たがね打ちとは、内部まで金であることを示すために刻まれた表面に付けられた横線を言います。
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